実に日本人らしい物語を秘めた看板!
足助の街を越えて国道153号線を長野に向かって走り、登り坂の急カーブに
さしかかったところに上の看板があります。
見たことのある人は多いと思いますがあなたは如何ですか?
これ、建築屋さんと木材屋さんの看板です。 
作ってから、およそ12年くらい経っているのですが、今だに健在です。
最近のことですが、材木屋の社長から電話がありました。
「前田さん、あんたに作ってもらった足助にある看板だけどね、
あんな取り付け方をしたらいかんよ。」
わたしは最初、なんのことかまったくわかりませんでした・
10年以上も経っているのに何で今ごろそんなことを言うんだろうと思いました。
社長は、「わし、先日、足助の看板が見えなくなっているので草刈にいったんだわ。
そしたら、看板をしばってある太い針金が木にくい込んでいるじゃあないか、
あんなかわいそうなことをしたらいかん。木が泣いているぞ。」とおっしゃいました。
「さすが、材木を扱う人の感性とおもいやりだなあ。」
自然を大切にしようと口先だけで、なんにも解っていない自分を恥ずかしく思いました。
さっそく、現地へいってしばりなおしました。
くい込んだ番線をはずし、あて木をしてしばりなおしました。
上記右の写真がそれです。木の左に見えるぎざぎざの筋はツタの木です。
12年の歳月を証明してくれていますね。
ちなみに、皆様に言っておきたいのは、なぜこんなところに看板をとりつけたのか、
ということであります。
山の斜面・・・、重い看板をひきずって、わざわざこんな苦労を誰がしたいものでしょうか。
実は、この看板は材木屋の社長が、建築屋さんのために寄贈したものなのです。
常々材木を買ってくれる建築屋さんに恩返しをしたいという想いから作ったものなのです。
取り付ける場所はその建築屋さんの家の前の予定でした。 ところが・・・。
「いかん、いかん、こんな人目につくところでは恥ずかしくてしょうがない。
部落の寄り合いに行ったときみんなに冷やかされるし、しゃらくさいと思われるから
やめてくれ。」と言われてしまいました。
大工さんは頑固者が多くて、一度言ったら引きません。
私もここまでやってきて、そのまま帰れません。
結局、大工さんの家の後ろにある山の斜面に取り付けることになったのです。
へびや、やぶ蚊にさいなまれながら取り付けました。
でも、とてもおもしろいエピソードではありませんか。
一枚の看板には、こんな人情物語もあったりするのです・・・。

    「母への贈り物
「トゥルルル・・・」と呼びかける電話のベル。
そのベルが看板物語の始まりです。
「看板はお店の顔」です。看板を作るとき、経営者や店主はいろんな
想いを語ってくれます。
今回は私達も感動した看板物語をお送りします。
「看板を作って欲しいのですが、大体どれくらいの
予算で、できるのでしょうか?」という問いかけがありました。
私は、「予算と言われましても、大きいものから小さいもの、その他
種類や材料により様ざまですよ・・・。あの、良かったらどんなものが欲しいのか
具体案があったら教えてください」と言いました。
お客さんは、飲食業の方でした。
「実は、今回の看板は母親へのプレゼントなんです。店の看板もずいぶんと
古くなっているし、兄弟みんなでお金を出し合って新しい看板をプレゼントして
あげようと思って・・・予算は15万円なんですが、この範囲ですごくいい看板を
作って欲しいんです。」 と・・・。
すごく素敵なお話で私も何とかしてあげたいと思いました。
その後、何度もお客さんと打ち合わせをし、看板設置の当日を迎えました。
その日は、お店の『○周年』の記念日で、私達は朝から取り付けにかかり、
一日がかりで設置をしました。
作業中、その兄弟の皆さんは入れ替わり立ち代り見物にやってきました。
夕方頃に終わり、ちょうど日も暮れかけたころお店の経営者である「お母さん」
をよびました。
他の家族も集まり、看板にかけてあった布を合図と共にとって・・・・
みんなで「母さんありがとな。」と言ったのです。
いいドラマを見たような気がしました。
以後そのお店の前を通りかかるたびに、その日を思い出してしまいます。
「想いを形にした」、看板物語でした。

物語に登場した電飾看板です。
ブラックライトで文字が光ります。
昼と夜で看板のイメージが違っておもしろいです。
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